「正月帰るってどこに?年末年始正月という日ほど、家族が居ないことを突きつけられる日はない。」と言う友人がいる。母親を亡くし、父親も失踪した彼女に頼れる血縁の家族はいなかった。そんな彼女は「年越しいのちの村」と題して毎年12月31日の夜を過ごす場所のあての無い人達に「一緒に過ごそう」と呼びかける活動をやっている。

僕は両親健在ではあるけれど、気持ちは良くわかる。一年で最も憂鬱な季節が、年末年始だ。10代のある頃からずっと、そのときつきあっている彼女の実家の帰省に付いて行く、ということをしていた。たまたまかもしれないがみんな地方出身だった。東北のこともあれば、九州のこともあった。両親に挨拶をするとかいうつもりでもなく、ただただ、その最も憂鬱な時間を避ける為に行っていたようなものだ。その結果としてさまざまな地方の食文化を垣間見たりもできた。

人に「年末年始を自分の実家で過ごせばいいじゃないか」と、言われることがよくあるのだが。帰るべき家だという感じがまるでしなかった。正月明けに顔は出しつつも、神奈川県という土地に故郷という感じがまるでしてこなかったからだ。故郷とは何か?最近になって思うそれは、すなわち自分の脳裏に刻み込まれている食べものの味が存在する所であると考える。

僕の場合は、正月に帰るところというと、真っ先に思い出すのが、新潟出身の祖父母や叔父叔母が準備してくれていた、新潟式の12月31日の大晦日の酒宴だった。親戚全員、田中角栄総理大臣の頃には東京に出てきているものの、新潟県では、12月31日の夜にあわせて豪勢な正月料理をつくり、そこでお年玉をもらう。子供のは頃はそれを楽しみに祖父母の家(東京都内)に通っていた。さまざま新潟風の正月料理を食べた中でも、最も記憶に残っているのは、イクラの入った雑煮である。せっかくのイクラに火を通してしまい、白くなったものが入っている。あの頃は、奇怪な食べものだとしか思っていなかったが、雑煮というものはその土地でとれる食べものの入った煮物のことなので、鮭がたくさん獲れる土地であったことを物語っている。今はもう祖父母も亡くなり、12月31日の酒宴も無い。

なぜ、帰省ラッシュという大変な苦労をしてまで帰ろうと思えるのか、それは子供の頃に食べた食べものの記憶を呼び覚まされるからなのではないだろうか。いわゆる餌付けのようなものかもしれないが、親戚を招いて、年末年始に宴会をするというのは、鮭が自分の生まれた川に帰ってくるように、巡り巡って帰ってくるべき場所を指し示してくれる。
5年前に倒れて、障がい者となってしまった母がつくってくれた食べものの記憶は、あまり強くは残っていない。せいぜい、イトーヨーカドーで買い物をした記憶だったり、けして料理が下手だった、というわけではないのだが。強烈に記憶に残っている味というのは、もう一人の山形出身の祖母からのものだったりと、計2人の祖母からのものである。共通しているのは、特定地方の食文化をかろうじて持ち合わせているということだと思う。

地方、という世界に興味を持ち始めたり、地方の食文化を探し始めたのは、こういうアイデンティティの無い東京人だからかもしれないが、今現在住んでいる東京都練馬区ですら、幼少期の頃に食べたであろう食について再発見しているような状況なので、単純に「都市か地方か」という二項対立的な問題でもないであろう。

年末年始という時期は、一年で最も「故郷と食」について考えさせられる数日であり、今年もまたやってきたなぁ、と、溜息交じりに思うのだが、このようなことは、実はけっこう多くの人達が抱えている悩みなんじゃないかと思ったりもする。血縁でクローズドな「家族」というものが、そろそろ限界に近づいてきているような。その先にどういう形がありえるのかを考えている。