都市において、自然の木や畑や土と共に暮らしていくということは、いつの頃からか無意識に諦めてしまった。コンクリートジャングルと揶揄される都心の地価は高く、賃貸物件の少しのスペースでもあればものが占有してしまう。空間や自然を求めて、父母の世代はバブル華やかな時代に都心から45km圏に引っ越し、僕自身は東京都内で「公園」と名の付く地名のすぐ近くに点々と引っ越しを繰り返してきた。それから地方創生の名の下に田舎への移住という流行が一部で巻き起こっていて、都市に住むと人間ではいられなくなるそうである。なんなんだろうこの状況は・・・?と、モヤモヤしていた最近、一つの映画を見てさまざま点と点が結実した。都市に住んでいても、自然の木や畑や土と共に暮らしていってもいいじゃないか、と、津端修一さん(90歳)の経歴が強烈に語りかけてきたようだった。

1968年、日本住宅公団で建築家として働いていた津端さんは、自身が計画した愛知県の高蔵寺ニュータウン計画で設計した『元々その場所に生えていた雑木林と、都市空間の一体化案』を破棄され、案とはまったく異なった、雑木林の一切取り払われ、南向きに統一された、画一的な箱物住宅が立ち並ぶ景観が生まれた。元々、1959年の伊勢湾台風で家や土地を失った人達への救済策という大義名分から始まった高蔵寺ニュータウン計画は、大方のニュータウン計画同様、最終的に経済合理性最優先の方向に進む。そこで、津端さんがなにを思ったのかについてはあまり明確に描かれていないが、ニュータウンの隅に300坪の土地を買い、森と畑をつくって奥さんと半自給自足の暮らしをしている。ぱっと見は90歳のおじいちゃんと、87歳のおばあちゃんの素敵な老後の暮らしの話なのだが、最後に至った結論は、自分でできる範囲で、自分でつくることだったのだと思う。それが時代への最大の反逆であり、提案だったのだろう。

素敵な暮らし、を追い求める精神を煽って新たな付加価値のついた消費を呼び起こすのも良いけれど、小さくてもいいから、自分自身でつくってみることからしか、何も始まらないのだという宇宙的な真理をここに感じる。

人生フルーツ
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