2017年も6月になった。7年ぶりにブログを再開しようと思った。言挙げをせねばという言葉の表面張力が膨張して遂に決壊した。

遡ること2010年末、30歳になった頃に20代で書き散らかしたブログを閉じて、その直後に東日本大震災が起き、当時ほぼ唯一の実名SNSであったTwitter上は阿鼻叫喚の様相だった。それまでなんとなく未来を前向きに捉えたツイートであふれていた世界は、あっという間に怨嗟の声と、膨大な情報ノイズの固まりとなって見るに堪えないものとなって、ツイートという行為そのものをやめてしまった。思えばあの頃から、インターネットやテクノロジーに人間性のあるコミュニケーションを期待できなくなって、自分の声で想いを伝えるということをやめてしまっていたかもしれない。

丁度その直前の時期から、地域ブランディング、すなわち日本国内の地域振興として写真やデザインをつかった表現の能力を持って関わっていくということを始めた。そこはまだ未開の原野で、本当のゼロからイチをつくり出す創造性溢れる分野のように見えた。それも時が経つと2015年頃から『インバウンド観光』やら『地方創生』やらとラベルを付けられて呼ばれ、国から膨大な額の補助金が投入されはじめると、雨後の竹の子のようにさまざまな分野から人材が流入、魑魅魍魎が跋扈し、どんどんと価値観が単一化。広く普及させているというつもりが、実は創造性を大きく失わせているのではないか。いつか、どこかで見たような光景がいま再び繰り返されている。

どこの道の駅に行っても綺麗に整えられたパッケージ商品が並び、よく言えば安心感、悪く言えば画一的な、『地域デザイン』などと呼ばれるものが立ち並び、逆になにを買っていいのか解らないような寡占状態だが、いったい田舎のなにが変わったんだろうか?ほんとにいいものつくれてるんだろうか?また、地域性や風土は、価値観の多様性そのものであるはずなのに、ポートランドをもってきては植え付けていたり。アメリカ西海岸の文化は、フロンティア開拓の歴史の積み上げがあってこそのものなのに。ここ最近は、なんだか同じような流行廃りを繰り返しているだけのような状況にほとほとウンザリしていた。独自の価値観を、その土地の風土の中から見いだして、未来をつくっていく人達の土台をつくることが、地域ブランディングというものの役割だったんじゃないのか?なかでも最もウンザリしていたのは、田舎への『移住』というかけ声なのだが、人口動態を見ても益々都市への人口集中が加速しており、あちこち行ってはみたものの、自分自身、結局東京という場所で生活しているのだ。


東京。ここに住んでいるのは毎月東北に取材に行かねばならないという理由と、もう一つ、あくまで地方の独自の価値観を届ける先は都市の人であるからなのだが。受取手の側が見えなくなってしまったら、何が田舎の風土が生み出す価値であるのかなんて、わからなくなってしまうだろう。僕はいまのところ、地方への移住は考えていない。それからもう一つの大きな理由がある。

地方創生がラベリングされはじめて急激な質的転換が起きた2015年春、ひょんなことから渋谷区から練馬区に引っ越した。今思えば引き籠もったとも言えるかもしれないが、近くには池と森があり、ごくごく部分的に中世の原風景が残るこの町は、山手線のサークルから放射状に伸びる電車に乗り10分ほどで着く結界の中にある。ここは37年前に自分自身が生まれ、7歳まで育った町なので、30年ぶりのUターンということになる。戦後、畑の多かった土地を急激に宅地化した練馬区は所狭しと住宅が並び、隙間隙間にいまだ畑の残る、東京23区内でも最も農地と緑地の多い地域だが、7歳までのかすかな記憶と、毎日の散歩で森と畑の片鱗を探していくうちに、点と点が結びついてこの土地に残る記憶に辿り着いた。ありていにいえば『武蔵野の森』とでも言うんだろうか。東京=江戸と短絡的に考えてしまいがちだが、山手線から見て東京の西側は広大な武蔵野の森、もしくは原っぱ、もしくは畑と農村であった。それも太平洋戦争が終わった20世紀半ばまで。戦後あまりにも急激な変化だったんだろう。変化した後のことしか解らないが、その埋め尽くされた家々やアスファルトやコンクリートの下に、なにがあったのかについて興味をもった。良い暮らし、素敵な暮らしなどと、やたらと暮らしの質を高める風潮は昔からあるが、その土地その風土と密接に結びついてこその『暮らし』なんじゃないかと思うし、それは都市でも田舎でも変わらないんじゃないか。

「コンクリートジャングルに住んでいると人間性がおかしくなる」などと揶揄され、田舎に引っ越さなければ自然がなかったり、おいしいものがなかったり、果ては人間的な生活が出来ない、なんて言われると、ほとほとおかしな話だなと思うのだ。僕らはどこかで無意識に諦めていたが、都市に住んでいても、自然環境に立脚した豊かな暮らしを目指すことを諦めてはいけないのではないだろうか。


21世紀になってから17年が経った。その間、IT、環境、社会的起業、地方創生と、次から次へとラベリングされるキーワードは、まるで焼き畑農業のように創造性を焼き尽くして、ただ一つの単一な価値観に人を巻き込んでいくけれど。統合されそうになってくると、多様な価値観の元に『自分自身で生きている』という感覚をもって生きていく、という宝物を持っていることを思い出す。明治時代に福沢諭吉はそれを「独立自尊」と言い、昭和の戦後の時代には、ソニー創業者の井深大が『設立趣意書』の中で「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」と書いているその『自由闊達ニシテ愉快ナル』という感覚のことだ(日本の家電業界における自由闊達さは、高度経済成長の終焉と共にしがらみへと変質した)。インターネットはかつて21世紀の始まりの頃『多様な価値観をもたらす情報ネットワーク』であると言われていた(しかし、現在の所そのまったく逆の方へ作用している)。常に中央政権に飲み込まれてきた東北の人たちは自主独立の気風を、自分たちは「まつろわぬ民」だ、って言ったりする(そして数百年置きに自主独立を目指しては鎮圧される)。1951年のキューバ革命におけるカストロやゲバラもそんな宝物を持って乗り込んでいったわけで(最近カストロが死んだ。彼らの宝が継承されることはどうも難しそうである。どうもこの宝は世代を超えて継承されることは難しいようだ。各々が会得するよりほかない)。この宝物はその時々で、人が人として生きていく根源的な欲求として現れ、ゼロからイチをつくり出す創造性、または創造的になり得る環境のこととも言える。

2017年の6月というタイミングは、さまざまな分野で忘れそうになっていたその宝物を、土を触りながらどのように蘇らせたら良いものかについて思考を廻らせている。