毎年この季節は、足下に落ちているものが気になって気になって気になって、仕方がない。うちの隣の武蔵野の片鱗が残っている東京23区内のとある水辺は紅葉のピークがやってきている感じ。
散歩していて、何気なく見える地面に神の采配を感じる。落ち葉があって、それを人が作為的に並べてもなかなかこうはならない。どうしても赤い落ち葉ばかりを集めてしまったり、秋の京都になど行ったりするともみじの葉っぱばかり撮ってしまって、ぎらぎらした写真ばかり見るのはどうにもしんどくなるだろう。しかし、人はどうしてもいま意識しているなにかを大きく取り上げないではいられないのだ。
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