グルグルリパブリックのサイトオープンに合わせて、記事を一つ書きました。(株)エーゼロ社の滋賀県高島市でのチャレンジは、家づくりです。それも、流域の森の木をつかって、取得が現実的に考えられる範囲の価格帯で一軒家を建てるらしい。しかし、その前に、ここがどういう土地なのか。地理的、文化的背景をちょこっと書いています。
http://guruguru.jp/takashima/takurami/takashima.html
そもそも僕が田舎というところを目指し始めたのは、2005年、夜中にふとテレビをつけたときに、こんこんと湧き出る水とその水辺を取り巻く人たちの生活の、なんともいえない情緒的な映像が流れていた。突然目の前に現れた風景は最初、現在の日本の風景だとはとても思えなかった。その舞台が滋賀県高島市針江という集落だった。
その翌2006年の春も始まったばかりの4月1日、京都に行くという友人に連れられて、東京から新幹線に乗り、京都駅八条口でバンに乗り換え、鴨川沿いの川端通りを北上、だんだん山道に入っていき、いま考えてみるとあれは大原の里を通り、鯖街道を更に北上。全然京都じゃないじゃないか、と、内心思いつつも、旧朽木村の針畑という集落に連れていかれたことがあった。
僕らはあの日、山奥のトタンの被った古い民家で、男4人、カメムシの臭いにまみれながら、おばあちゃんから昔話を聞くという体験をした。いまでも記憶に残っているのは、夜這いが風習として戦後もまだ残っていたというような話だったけども、あのときバンを運転してご案内いただいたのが牧 大介さんで、彼とはその後2010年にたまたまご縁があって再会し、いまに至る。
針畑に行った翌日、京都でこれもたまたまご縁があって泊まった町家が、結果その後2009年から6年ほど借りることになった京都市左京区鹿ヶ谷の町家で。なんですかね。このあたりが僕の西日本における20代後半から30代前半に至る時期の、ここ10年の始まりが、あの頃だったなぁと。
正直なところ、いま、当時ほど田舎というものに憧れもなければ、いますぐに住みたいとも思っていないけども、どうしてもこの土地に関わりを持ちたいと、いまでも強く思っているのはこの地域ですね。ポテンシャルは高く、一時期あれだけNHKが取り上げたのだけども、いまだ、知る人は少ないという不思議な地域です。
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