食の都・庄内。山形市から車でだいぶ離れたところにあるらしい、アル・ケッチァーノなるイタリアンレストランが三つ星レストランより美味い。なぜ美味いかというと、その土地でとれた食材のみをつかっているからだ、という話を初めて耳にしたのは2006年頃だったろうか。まだ、鶴岡という地名すら知らなかったけれど、ちょっと上の、一回りくらい上の世代の身近な諸先輩方がそのレストランの名前を繰り返し唱えるために、ずうっとずうっと気になっていた。

当然、東北で食べ物に関係する仕事をする上でも、庄内地方の農業地帯である鶴岡市はとても気になっていて、東北食べる通信で取り上げることになったときに、どういう立ち位置で取り上げるのかということは、ずっとのどのつかえのようなものであったのでした。そろそろ山形県をやらねば、と、思い始めていた今年のまだ雪が深かった2月のある日から数えて、冬・春・夏と3回、鶴岡市にやってきて、今回3回目でやっとあのレストランに入ったのでした。


で、結論からいうと、アル・ケッチァーノには、なにも感動がなかった。
あのお店の、伝説としての役割は終わったんではないかと思う。

アル・ケッチァーノのことを悪く書くつもりはない。奥田シェフは凄い人だと思う。『庄内パラディーゾ』(一志治夫著・文藝春秋)を読んで、彼の苦労多かった人生と“地の果て”と呼ばれていた庄内の再生物語、ものがたりというか伝説に近いそれに深く感動するからこそ、アル・ケッチァーノへの期待は高かったのだけれど。

なぜ、感動がなかったのかというと。あれは、いまの45歳以上の人達の世界観なのではないかと僕は理解することにした。かつて、日本の食の世界というものは、フランスかイタリアで修行を終えて帰ってきたフレンチおよびイタリアンのシェフがつくった料理こそ、至上のものであったんだろう。在来種の野菜という難儀なものを、その時代に適合させるという意味では、奥田シェフの手法は神がかっていたのかと思う。それはバブルを経験した世代までは非常に有効な手段であったのではないか。バブルは過ぎ去ったけれど、そこで形成された価値観の中で生きている人がいる。だからアル・ケッチァーノの伝説は絶賛されてきた。

けれど僕らは、おばあちゃんの味が食べたいんですよ。

多種多様な地域があって、その土地だからこそ生まれた郷土の味を味わいたい。だから、その地域でとれたものを使った料理が良いし、在来の野菜であればなお良いのだけれど。別に、おばあちゃんがつくったものでなくてもいい。昔のまんまでも化学調味料漬けになっている僕らの舌には合わないかもしれないので、多少の調整や、解体した上での再解釈は必要かもしれない。しれないんだけれど、、、イタリアンやフレンチである必要はまるでない。和食にカテゴライズされる郷土の料理であってほしい。父母世代が郷土の継承をしてこなかったから、そこをおばあちゃんに頼るしかない。

ということを確信した。そのためにアル・ケッチァーノに行ったんだなあと思う。食べなければ解らなかった。西洋から持ってきた価値観でアプローチしなければ、まだまだ理解できない世代がいるんだけれど、しかし僕らまでその価値観にかぶれる必要はまったく無い。子供の頃、大晦日の夜に祖父母の家で食べることができた、豪勢な新潟の郷土料理を食べたわずかな記憶が、いまはとても財産のように思える。

長年のどにひっかかっていたものが、やっととれた。
郷土料理に、未来があるなぁと改めて思う。


冒頭の写真は、今年2014年2月、同じく鶴岡市内の『知憩軒』にて、冬の庄内の食材をつかった長南光さんによる郷土料理。野菜、魚、肉ともに、庄内平野の食文化は豊かだ。