あれはまだ東北の震災のすこし前のことだった。2010年の年末頃に、ETICという団体の補助金申請資料として書いていた企画書を読むと、当時やろうと思っていたことが、まるまる「東北食べる通信」となって、形になってきている。いま思うと、到底自分一人でリーダーシップをとって出来ることじゃあなかったなぁ、とも思う。

この分野のことについては、かれこれざっと14年くらい考えてきた。僕の仕事人生そのものが、点と線を繋いでいくと、ものとひとの関係性、ものの流通構造の問題によって生じる矛盾に対する可能性を考え続けてきたことになる。

ちなみにこの企画、通ったには通ったんだけれど、いろいろあって辞退したのでした。そしてお蔵入り。



2010.12.16

生産者と消費者を繋ぐメディアプラットフォームについて
玉利 康延

1: 未来のビジョン / 解決したい社会的課題

「正直者が馬鹿を見ない」

既存のマスメディア/マス流通の事情によって、流通が経済的に合理化されればされるほど、生産者と消費者の接点が阻害されていくように感じている。現状の流通構造では、本当に良いものづくりを行っている人間であればあるほどその苦労が報われることが無く、また、消費者の側においてもコスト面でしか価値を比較することができず、本当に良質なものがなんなのか、そんなことすら解らなくなっている。極論すれば、既存のメディアと流通の事情によって、価値の交換が規定されてしまっているとも言えるし、より良く働きたいといった人間の思いや可能性が矮小化されているとも言える。

小規模で良いので、マス流通とは違う価値観でつくられているメディアであり、売り場が必要であると考える。イオンだとか楽天だとかとは「まったく違った意味」をもつ場所をつくること。生産者と消費者の顔がお互い見える環境をつくり、そこに新しいメディアと流通と物作りの関係性をつくり出したい。


「『物』から『事』が大切な時代へ、価値感が変化してきた」

「今の若者は消費しない世代だ」などと言われるが、本当に欲しいと思えるものがどこに行ったらあるのかが解らなくなっているのではないだろうか。お金を出せば、ある程度良いものが手にできるようになってしまった現代社会の行き詰まり感、金額以上の幸せや満足感が得られる気がしないことや、値段相応な満足感を意図的に作り出してきてしまった弊害など、そのようなところが根深いと考えられる。

本当に良質なものとは、丁寧に作られたものであったり、作り手の思いのこもったものであったり、作り手自身が欲しいという思いから生まれたものであったり、素材にまつわる物語が存在するものであったり。それがつくられた地域の事情や自然や文化などと文脈が繋がっているもの。あるいは地球環境を意識したものであったり、遠く地球の裏側にいる人々のことを思ったものであるかもしれない。結果的に払ったお金が誰に届いていて、誰が幸せになっているのかがしっくりくるもの。そういうものが求められている。こうしたものが求められる背景には、地域に住むものであれ、都市に住むものであれ、物欲から来る欲求ではなく「心の豊かさ」を求めているということがあるのではないだろうか。


2 : 実現に向けたシナリオ・戦略

「ものがどこから来たのか、もの自身が語る」

本当に良質なものは、既存の経済システムに迎合する形でしかお金を生み出す仕組みができないのが現状であり、この状況に対して、丁寧な取材やハイクオリティな写真撮影によってその背景を浮かび上がらせ、既存の流通システムに縛られない新しい物の価値観を浮かび上がらせ、本当に良質なものとはどのようなものであるのかという、変化のための強烈なインスピレーションとなる事例を示したい。本事業は、本当に良質なものを消費者が知り、その背景にいる人を浮かび上がらせ、その場所や商品に行き着くことができるまでのハブであると考える。そのため、商品を販売する実店舗やECサイト事業、旅行代理事業、ステイ事業などは、パートナー企業と連携していくことになる。その物づくりや場づくりに、消費者がどのように参加できて、理解して買い支えることができて、いつまでも近くに感じて思いを寄せていられる関係を生産者と築いていけるのか、そのプラットフォームをつくりたい。


「顔が見える距離の、すぐそこにある未来の流通」

私たちは、高度経済成長をがむしゃらにひた走って来た中で、一人一人の思いを丁寧に受け渡していくことを、根本的に忘れていったんじゃないだろうか。既存の大量生産・大量消費をベースとした流通システムに、農業の分野で問題解決を取り組もうとしたのが、1970年代に始まる生活協同組合や、大地を守る会、らでぃっしゅぼーやなどの有機野菜の宅配業者だろう。これらの事業者は、本質的な物作りのために、流通の都合に合わせない不揃いな形の野菜や、しかもそれらが安定的な出荷ができないことを消費者の側に理解してもらい、本当に体に良い、良質な野菜を求めた消費者とマッチングを図り、生産者の事情に配慮した物作りと流通の形を生み出した。しかし、現状においては生産者側の事情を部分部分で解決しているに過ぎず、根本的な農業の問題や地域や資源の問題にアプローチできないでいる。

消費者が、実際その商品をどのように使っているのか、どのように食べているのかを把握できる手段は、驚くほど少ない。いまだにアンケート調査や市場マーケティング調査に頼っているのが現状である。インターネット上には、こういった不満や改善点を議論しあうユーザーズコミュニティが多数存在し、消費者同士が活発に議論しあっているが、実際にそれらが商品の改善に繋がることは非常に希である。この点については、Twitterなどのソーシャルメディアを生産者側も利用するという土壌が整いつつあり、本事業においては生産者側にソーシャルメディアの活用法を教授したり、サイト上の記事のページに議論の場を提供することで促進することを考えている。


3 : 持続・発展の仕組み・工夫(事業モデル)

「主な収入源と事業展開プラン」

・地域メディアコンサル事業 案件により数十万円~数百万円
地域社会においてイノベーションを起こしていこうとする自治体、会社組織、NPOを広報物のデザイン、コピーライティング、フォトグラフィック、ウェブサイトの制作、ソーシャルメディアの利用推進などの面から支援し、情報を正しく伝える事業を行っているが、その利益を当初数年間の間は運営資金として流用する。

また、身近な暮らしに密接に関わるものをつくっていて、日本の風土に根ざした文化的背景を持った製造業、流通業、観光業をターゲットとして、パートナーシップを築き地域メディアコンサル事業を広げていく。具体的には、日本酒製造業、食品製造業、農業、公共交通機関、陶磁器製造業、スーパーマーケットなどの消費者との窓口となる流通業など。

・ 物品販売やツアー、ステイ等、パートナー事業からのリベート


4: この事業に取り組む動機や、ご自身の強み・実績・ストーリー等

「豊かさとは何か?」

私自身のファーストキャリアとして、12年前に工業デザイナーを選んだことが「豊かさとは何か?」という根本的な問いを考えさせる大きな要因の一つになっていると思う。工業デザインとは、主に大量生産・大量消費される製造物の機能的及び装飾的なデザインを行うことである。高度成長期、我が国において花形産業であった製造業における工業デザイナーという職種は、実にきらびやかなものであっただろうことは想像に難くない。物を買って、特にたくさんの耐久消費財に囲まれて生活することが、戦後荒廃期からの復興の象徴であったからだ。そこでデザインを行い、自らが作り出したものが売れていく姿にとても憧れた。しかし、私が「エレファントデザイン株式会社」(http://www.elephant-design.com)でキャリアを歩み始めた1998年頃は、既にそのような状況は終わりを向かえていた。多くの日本の物作り産業が迷走を始めようとしていた。その頃から「本物の豊かさとは何か?」ということを考えはじめ、大量生産による工業デザインの根本的な矛盾に正面からぶつかる。

2001年を契機に環境運動にPR担当のデザイナーとして関わり始め、夏至の日の消灯ムーブメントである「100万人のキャンドルナイト」(http://www.candle-night.org)では、その発起人の一人である大地を守る会の藤田和芳さんによって、日本の農業のこれまでとこれからのことを、それから1968年頃に日本中の若者達がどんな思いで、いわゆる全共闘運動の中で闘ってきたのか、そしてその後、農業という第一次産業に携わるということについて、直に当時の話を伺う機会を何度にも渡って得た。全共闘運動の失敗や問題点については、既に議論し尽くされてきたことだと思うが、自分がまだ生まれていなかった頃に起きた、急激な時代の変化へのリアリティを持つことになり、それと同時にその思いを継承せざるを得なくなった。

2004年に、環境NPOのための広告制作会社として「クリエイティブエージェンシー・サステナ」(http://www.sustena.org)の設立に深く関与し、5年に渡って活動を続けた。NPOや市民活動の分野に、広告代理店の情報伝達手法を持ち込んだマエキタミヤコさんと共に活動を始めた。それをきっかけに広告代理店の手法についても学ぶ機会となる。この手法が5年間の活動の中で、徐々に私の中で問題意識を募らせていくことになった。それまでのマスメディアの世界では、圧倒的な情報配信力を背景に一方通行の情報発信によって成り立ってきたということを、そのままのかたちで社会的課題に応用しても、解決が難しいということを実感するに至たる。

そして2009年に退社後、課題解決の直接的なアプローチを考えるために、主に西日本の地域社会をフィールド調査をした。この中で、私は日本固有の文化や、地域社会から「本物の豊かさ」や「未来のヒント」をたくさん与えられ、それがあまりにも多くの人に知られておらず、伝わっていないという状況に愕然とした。そして徐々に、そのような地域社会における発見を、写真に納め文章を書いていくうちに、私のブログサイト(http://tamachan.jugem.jp/)は月間5万人が訪れる情報メディアサイトになっていた。コンテンツの拡充、拡大に多くの期待が日々寄せられており、これが本事業のプロトタイプになると考えている。