昨夜お世話になった、元朝日新聞の記者、木瀬公二さんから聞いた話。

遠野のカッパ(河童)。カッパは本当に居るのか?いるとかいないとか以前に、居ることにしないと生きていけないだけの厳しい自然環境だった。不義の子とか障害を持った子、あとは子供の口減しの理由として「カッパに子供がさらわれた」とカッパのせいにしたり、といった感じで。しかしただネガティヴな存在というだけでもなく遠野の人にとって河童は神さまなのである。厳しい自然環境の中で生き抜くための社会的方便として神という概念が必要だった。

ざしきわらし(座敷童子)の話も同様で、長者の家で同様のことがおきると、所得があるからある歳までは食わせて生かせられるけれど、やがて外に出たくなる頃にはどうにかしなくてはならなくなる為である。その場合実行現場は川から屋敷に移る。貧しい家の子は河童になり、豊かな家の子は座敷童子になる。

九州にも河童伝説はあるが、中国から泳ぎ着いたとかそういう話で、遠野の場合は圧倒的に生きていくのが難しい気候の土地だったことが伺える。

以下は私見

常々、神さまと妖怪とトトロの狭間にはなにがあるのか興味がある。神はひとつの社会システムとして考えることもできると思う。ニーチェという西洋の思想家がむかし「神は死んだ」と言ったらしいんだが。いやいや、この国では20世紀、すくなくとも東京オリンピックの頃までははっきり神は生きていたらしいぞ、と。現代、残像としては散見される。もしくはアニメ作品にしかなっていないのが現状なのだが。

写真は岩手県遠野市宮守町達曽部にある木瀬さんちの納屋。今朝は久々の大雪だった。