満州うどん。最も近距離で食べられる、ここらへんで冬期、最も美味い食い物の一つである。家から徒歩5分、池の周りを半周ぐるりと散歩して行った先に店がある。満州うどんは「むさしの エン座」で食べられる冬季限定のメニューなのだが、行ったことはないけれど、モンゴルとか満州とか大陸の味がするような気がする。この大陸の風を舌で感じさせるのは、八角の味だろうか。調理法を推測するに八角、山椒、とうがらし、牛スジを鍋で煮出したスープに、パクチーと刻み玉葱がトッピングされているようである。なにやらメニューには「直木賞作家 檀一雄氏へのトリビュート(称賛・賛辞・尊敬・感謝という意味)うどんです」と書いてある。

檀一雄。少なくとも著書は読んだことが無いが、彼の家の場所については知っていた。西武池袋線 石神井公園駅から我が家までの徒歩7分の間に繰り広げられている、道路拡張計画に反対している唯一の家が檀さんの家だというのはこのあたりではだいぶ知られた話で、工事地帯に忽然と最後まで凜々しく残っている家屋敷や大きな松の生えている庭と蔦の絡まる外壁からは、あるじがただ者ではない気配が濃厚に漂っていたからだ。繰り返すが彼の小説については読んだことがないものの、とっても有名なレシピ本を書いており、むしろその方面で有名なのかもしれない。

壇流クッキング。初版発行は1970年と書かれているが、戦前から世界各地を放浪した先で食べた食べものを、旅行記的に書き留めたもので、分量表はおろか、写真すらも、レシピとしての体裁は一切無い。ストイック。そして、とても男性向けの料理本かもしれない。ただの食通として書いたわけではなく、素人が書いた料理本の草分けなのかもしれない。自らその土地の料理を土地の素材で作るという立場で書かれており、風土、という言葉の意味を一冊の紀行文でまとめあげられている。「檀一雄にとっての料理とは、ただ単に味わうだけでなく、買い物カゴをもって、材料を市場に買いに行くところからはじまり、自ら庖丁を手にとって料理を作って、客人に振る舞うのが楽しみで仕方ないという人だった」と、長女で女優である檀ふみが言っている。あの工事地帯ど真ん中を、最後まで残っているあのお屋敷の中で何が食べられていたのだろうか?と、昭和のある時代の食卓を囲む団らんについての妄想が膨らむ。

その旧檀一雄邸が、今年2017年の春、遂に陥落し取り壊された。庭にあった松の木は一部隣地へ移設されたものの、ほぼ跡形も無くアスファルトによって道路になってしまった。元々田畑であったこのあたりを戦後、急激な宅地の乱開発によって、計画的に道路整備ができなかった結果、現在でもバスがギリギリすれ違えるくらいの細い道を通っており、道路の必然性はやむを得ない部分もあるのかもしれないが、西武池袋線が副都心線、東急東横線と直通になり、都心へのアクセスがかつてと段違いに良くなればなるほど、駅周辺はかつての面影もまったく無いほどに、ここ数年でのっぺらぼうな風貌へ変化してしまったのも事実である。それでいて、現練馬区長は「YoriDoriMidori(よりどりみどり)練馬」だなどとぬかして博報堂に広告を作らせながらも、更なるベッドタウンとしてのコンクリート開発を進めようとしているようだが、なんとも馬鹿げた愚かな話だ。

そんな諸々の状況を含めて、檀一雄氏へのトリビュートとして満州うどんなる冬季限定メニューを出しておられる、エン座の大将は粋な人だなぁ、と思って今日も食べに行く。


Google mapに残った旧檀一雄邸の最後の姿をここに残す(2016年11月撮影)




むさしの エン座
https://tabelog.com/tokyo/A1321/A132103/13022818/

壇流クッキング
https://www.amazon.co.jp/檀流クッキング-中公文庫BIBLIO-檀-一雄/dp/4122040949