どれだけ流通が発達しても、その土地に行かないと味わえない味がある。青森県むつ市、海峡ロデオ大畑の漁師さんたちに「これが俺たちのソウルフードや!」と教えてもらった「イカの白子とマツモ(海草)の煮物」(通称:白子煮)を食べた瞬間、目が覚めた。土地の魂が入ってきたようだった。


イカの白子は、流通に乗ることはなく、青森県内はおろか漁港近くでないと食べることができない。タコの内蔵バージョンもあって、そっちは「どうぐじる」と呼ぶ。タコの内臓は、下処理のゆでこぼしの腕で味が変わる。そしてやはりマツモが入る。このマツモから出てくる赤黒い煮汁の生々しい海の香りと、タコの内臓が相まって、独特の味(人によっては生臭いのかもしれない)となる。非常に非常に日本酒に合う。土地の情報が最も詰まっているのが郷土料理である。こびとさんが、精霊的な何かが味に詰まっている。それが最大値に達している旬であるからこそ美味しく感じられる。


地元、大畑八幡宮の禰宜である宮浦基(みやうら・もとい)さん曰く、冷蔵庫が出来た頃からこの旬が狂ったそうな。保存できるということが、裏を返すと精霊を殺してしまう。精霊の死んだ抜け殻を売っているのがスーパーマーケットであり。流通の限界だと言っていいだろう。スーパーで手に入る食べ物で身体を維持することはできるようになった。けれど、精神を維持することは難しい。

この土地は江戸時代、北前船の通り道であった。江戸時代のインターネットであり、文化のスーパーハイウェイだった北前船が日本の北と南をつないで、それぞれの郷土料理と郷土料理をつないだ結果、我々の知るところの「和食」の原型が江戸時代の後半に誕生した。北前船はただの流通ではなくて、文化を運び、土地土地の精霊も運んだのだ。蝦夷地の昆布の精霊と瀬戸内の白身魚の精霊が出会って、関西の昆布出汁文化が生まれた。スーパーマーケットやAmazonは抜け殻を運べても精神を運ぶことはけしてできないだろう。

この町の港はもちろん、神社、お寺、森、そこかしこに北前船の残り香が残っている。最も大きなお寺である曹洞宗 円祥山大安寺に残っている墓石には、福井県の笏谷石(しゃくだにいし)が使われており、西国への帰路には青森ヒバが運ばれていった。2014年にここ大畑の先、下北半島の最も最果てにある佐井村を訪れたときにも、漁師坂井さんの蔵から山のようなお宝が保存されていた。坂井さんのご先祖は江戸時代に北前船の廻船問屋であったそうで、蔵から出るわ出るわのお宝の山にただただ驚いた。それもいわゆる博物館にあるようなお宝だけでなく、明治初期や江戸時代の広告チラシのようなものや、領収書の類いまで残っているのである。

そんな北前船の最盛期から200年が経って、現在は最先端ぶっちぎりのシャッター街でもあり、ナショナルチェーン店すら無い。かつて存在した本州最北端の駅であり、ひょっとしたら北海道と繋がる可能性もあった大畑駅も、2001年に廃線となった。一時は青函トンネルの第二案である「東側ルート」として浮上していたものの、戦後西側ルートで確定(現在の龍飛岬-白神岬ルート)した後、立ち消えとなった。

大畑の居酒屋には精霊宿る郷土料理以外は、すべて油と化学調味料たっぷりのブルーカラーフードしかない。究極の選択のようである。そんな状況に嫌気がさして出ていった側の立場も察してあまりある。人が住み始めた400年の間の劇的な繁栄から劇的な衰退。下北半島はこのがけっぷちのギャップ感がたまらない。