東北食べる通信 2014年7月号 青森シャモロック(青森県五戸町)

青森シャモロック、伊藤若冲風。東北食べる通信7月号は、特集のテーマが重く、どうしても暗くなってしまい、後半ページは全体的に生き生きとしたいのちを感じるつくりにしたかったので。いつもお願いしているイラストレーターの鈴木海太さんに、今回は若冲で!と無茶なお願いをしてみた。生命というものは本来、その爆発する力を押さえることが難しくなったから、死を発明してコントロールすることができるようになったって言っていたのは、生命科学者の福岡伸一さんだったような気がする。いのちは常に爆発しているのだ。岡本太郎さんの太陽の塔だって、水戸岡鋭治さんの設計した鉄道車両だってみんなみんな爆発している。

はじめましての青森県。そして久々の肉。今回かなり人によってはグロいのかもしれない。表紙をめくると彼らが食べ物になってぶらさがっている。血が飛び肉が裂ける食肉解体の世界。編集長はしばらく焼き鳥が食えないとかなんとか言っているのだが、しかし思ったほど自分ではダメージもなく、食材は食材として美味しそうにしか見えなかったりもする。今月もたくさん彼らを食ったが、海産物と違って飽きない。スーパーの鶏肉と違う点は、1.すこし堅い(ひねどりほどではない)2.出汁が美味い ってとこかなぁ。地元の直売所ではけっこう鶏ガラが売れているらしい。この出汁でせんべい汁をやると最高なんだが、夏なのでレシピとしては却下されてしまった。それがなにより心残り。






東北食べる通信 2014年8月号 だだちゃ豆(山形県鶴岡市)

2014年2月に最初に鶴岡へ行って以来、足かけ半年、3度鶴岡に行くことになった。うち2回は自費で、もちろん行った先での飲み食いも自費、今回レシピに使った食器もすべて自費にて新調したので、かかっているコストは半端ないのだが、コストには変えられぬ経験をもたらしてくれた。

今回は難しい号でもあった。食べ物がとても豊かな地域なので、素材がものすごく良い分、どこをどう切り抜くかがものすごく問われる気がした。ここに書いた通り「アル・ケッチァーノ」には感動が無かったんだけれど、在来種の野菜については映画「よみがえりのレシピ」でとても丁寧に説明されているので、都市に住むものの目線として鶴岡に行く度に最も興味を惹かれたのが庄内地方の郷土料理についてだった。『東北を食べる』と言っておいて、庄内を扱ってだだちゃ豆を食べました、だけではどうしても納得がいかないので、最後に郷土料理と今年の冬と春に鶴岡を旅したときのことを執筆させてもらった。

庄内の在来種の野菜のことは、過去10年くらいにわたっていろんな人から、いろんな話を聞いており、期待と共にある種の最先端事例として気になりもしつつ、自分の中で一定の結論と仮説を得ることができたように思う。取材の中で、今回の主な取材先である小野寺農園のお母さんが「食べ物のことだけはみんなこだわるのよね。ここの人はきっと京都みたいなんでしょうね」と言っていたのが印象的であった。






東北食べる通信 2014年9月号 真穴子(宮城県石巻市)

宮城県石巻市雄勝の船越湾。ここにはかつてたぶん家がたくさん建っていたはずの被災地だ。対岸が十三浜、その奥が南三陸町。三陸沿いの地名が自分の中で繋がって行く。ひさびさの漁船。ひさびさの夜明け前の空。創刊号以来ひさびさの石巻。今回の主人公は本誌最年少の漁師、弱冠なんと23歳。しかしやっぱり海の話はゼロ泊二日の取材の勢いでつくってしまう感じだ。農産物だと一回行っただけでは作れない。雄勝はなんだか不思議な所だった。石巻で最も外れたとこにあるんだが、牡鹿半島や女川よりも、もっと濃い人達が集まっているような気がした。最後に会った雄勝の元学校の先生の言葉には刺さるものがあり。被災地のど真ん中で、未来を語っていた姿はとても格好良かった。初めて三陸の被災地に希望の芽が生えているところを発見したような。雄勝の復興はとても身体感覚が伴っている感じだ。






東北食べる通信 2014年10月号 里芋(山形県真室川町)

山形県真室川町の里芋『甚五右ヱ門芋』(じんごえもんいも)や、大沼養蜂さんの『蜂蜜』、佐藤商店さんの『いなごふりかけ』などなど。山形の食は豊かだなぁと毎度行く度思う。そして地域再生の観点からすると動きが早かったのだとも思う。あちこちに現れる東北芸術工科大学の卒業生達は確実に既に次の山形を形作っている。姉妹校の京都造形大学の卒業生がなにをしているのかあまり聞かないのだけれど、京都っていうのはそんだけ変化しにくい土地なんだろう。一見なにもないように見える土地の方が、変化が起こりやすいと常々思う。山形から東根、新庄、真室川、鶴岡。三泊四日の取材。この間撮影した総数750枚。約4.5GB。東北食べる通信10月号に出てくる人の数はこれまでで最も多い。






東北食べる通信 2014年11月号 鰰(秋田県男鹿市)

秋田県男鹿半島。水揚げが撮影できるかできないかという瀬戸際の取材終了一時間前。待ちに待った船が港に入船してきた。ハタハタは神の魚(鰰)と書く。神っていうのは雷神様のことらしい。毎年11月末、シベリアから曇り空とともに雷神様がやってきて、そこから春まで日本海岸は曇りと雪に包まれる。雷が鳴ると一気に水温が下がって、水温1度近くになると一斉に水深250mの深海から浜辺近くまで上がってくるんだそうだ。そのタイミングで河口に平均1,000粒の卵を産み付ける。(ハタハタの生存戦略は少数精鋭型で、何万個も卵を産み、平均2日程度で孵化する回遊魚とはまったく違う)そこから50日後に卵が孵って、徐々に雪解け水にたくさん含まれたエネルギーを一気に吸って、ハタハタの稚魚が急激に大きくなる。季節の循環というものはやっぱりこの国においては神の仕業なのだ。

特集の内容がこれまでになくシビアな為に、2014年11月号は完成が遅れまくった。ハタハタの資源管理のために2年間の禁漁期間を秋田県の漁師さんたちは自分達で実施したその背景にさまざまな人間模様があり、その核心に迫る編集長のねばりっこさは誌面製作関係者をハラハラさせつつもなんとか完成。禁漁に踏み切るまでのやりとりは、防潮堤反対運動における意思決定プロセスにも通ずるものがあるんじゃないかという気がした。

個人的には、ハタハタの生態について3時間近く特別講義をしてくれた秋田県立大学の杉山秀樹先生のお話は間違いなく今月号のイラストページに描いている雷神様を思い起こさせるのに、十分な説得力のある話であった。初めての日本海には出航できなかったものの、やはり日本海側に吹き付けてくるシベリアからの北風や、貧しさと闘ってきた歴史が、和食というものの加工技術を成立させてきた大きな要因なんだなぁと改めて思う。






東北食べる通信 2014年12月号 水蛸(青森県佐井村)

青森県下北郡佐井村という場所は、これまで東北食べる通信で取材に行った場所の中でも最も最果てにある。最も近い新幹線の駅である七戸十和田駅からは車で3時間30分かかり、東京からのべ7時間近くもかかる文字通りの地の果てである。しかし地理的には函館の本州側の対岸にあたり、江戸時代においては海上交通の主要な港の一つであった。北前船(きたまえせん・きたまえぶね)。10年ほど前、函館の街を歩いていて見つけた日本の地域と食を考える上での大きなテーマの一つが、日本海とこの江戸時代の主要な海上輸送手段であった北前船だった。

今回の取材で伺った佐井村の漁師、坂井さんのご先祖は江戸時代この北前船の廻船問屋であったそうで、蔵から出るわ出るわのお宝の山にただただ驚いた。それもいわゆる博物館にあるようなお宝だけでなく、明治初期や江戸時代の広告チラシのようなものや、領収書の類いまで残っているのである。その筋の専門家が資料を探しにこの最果ての佐井村までやってくるらしく、その専門家の話を聞いて詳しくなったそうである。

出てくるものが日本中のもので、親戚も北前航路沿いにに分家していて、江戸時代のグローバリゼーションという感じだろうか。北前船で上方から●●●が伝わってきたっていうけれど、伝わってきたどころか、寄港地自体が上も下もなく、平均的に文化発信地であって、閉鎖的な江戸時代において風通しがとっても良かったんだろうなあ、と、今は漁師の坂井さんちのお宝を眺めながら思ったのでした。






東北食べる通信 2015年1月号 酒粕(山形県長井市)

長らく日本酒の酒蔵の取材というのは悲願でありました。気温およそ摂氏0度。1月の山形のヒンヤリとした空気の中で、早朝からもくもくもくもくと酒蔵全体に上がる、酒米を蒸し上げる水蒸気。酒蔵全体から香ってくる酒麹が樽の中で発酵してきた甘酸っぱいような、口の中が甘くなってくるようなにおい。酒米を布で包み、酵母菌を振りかけ、布団にくるんで寝かせて、樽の中で発酵させる、最後に発酵済みの日本酒を絞り出すところまで、大部分のプロセスを撮影することができた。杜氏の鈴木大介さんはローマ人のような、ポセイドンのような。ちょっと地中海系の顔立ちをされている。ご先祖様はやはり廻船問屋だったそうな。

ミニ特集の牛乳もいつか取り上げたいと思っていて、たまたま同じ地域であったことと、両方とも白い食べ物であったことと、そしてなにより2014年の冬には表現できなかった東北の豪雪地帯のあの白くて、湿り気のあって、作業と常にセットで現れる湯気の白いもくもくとした静謐な世界観を、しかも今回は一枚の提供写真に頼ることなく、ほぼすべて自分の写真で表現できたことに非常に満足であります。東北食べる通信過去17号の中でもかなり良く出来た号だと思う。ただひとつ残念だったのが、米の育成から追いかけることができなかったこと。やはり農産物は取材一発ではなかなか表現しえない世界なので、この製作スタイルの限界でもあるのだが。






東北食べる通信 2015年2月号 燻り大根漬け(秋田県仙北市)






東北食べる通信 2015年3月号 槍烏賊(秋田県八峰町)

秋田県八峰町八森漁港のヤリイカの取材当日は、すべての風と雪が秋田県に向かってやってきているような天気図の日だった。風速20m、波の高さ5m。足踏ん張ってないと、ジャンプした瞬間に風に吹き飛ばされるような暴風雪。当然出航できず、いやそもそも秋田県の漁船はなかなか乗せてくれないのだった。

撮影のために今回もあらゆるイカを撮って、そして食べた。スルメイカ、コウイカ、ケンサキイカ、ホタルイカ。そしてこれら実はけっこう都内のスーパーマーケットでも手に入るのだ。この春先の季節ならば。






東北食べる通信 2015年4月号 槍烏賊(秋田県八峰町)

東北だけど東京の豚。東京では桜が咲いてて、宮城ではまだセピア色の、その仙台まで新幹線で移動する1時間40分の間に、一気に桜がつぼんでいって、また、帰りの新幹線で東京に向けて一気に桜が咲く、この季節の東北新幹線の車窓はたまらないものがあったりする。そんな、東北ではまだちょっと早い(丁度今頃花見シーズンだろうか)を先取りした桜色の4月号。






東北食べる通信 2015年5月号 紅海老(山形県鶴岡市)

今回は水面下で大きな成長ドラマが起きていた。今号、あんまり自分では写真を撮っていない。5月3日、取材先の山形県鶴岡市の南端、鼠ヶ関港に着いた時点でほぼ特集の撮影は終わっていたので表紙の紅えびだけ撮って帰ることにした。(注:撮影だけのために現地に行っているわけではないので、行く意味は他にもいろいろとある。現地の空気を吸わないとものが作れないので。)

特集の写真はほぼ全て、東北開墾のスタッフである山下雄登くんが撮った。現地鼠ヶ関に一週間ほど滞在し、先日自費で買ったばかりのニコンの一眼レフカメラに50mmの単焦点レンズを装着して、4月28日の深夜出航の漁船で往復16時間の漁に出た。彼は滞在期間中、都合2度の航海に出たそうだ。船の上での取材に目覚めてしまったらしい。今後『船上カメラマン』を自称してカメラの腕を磨いていくという。

彼はこの春、神奈川県にある某大学を卒業して、岩手県は花巻市に引っ越し、東北開墾のスタッフとなったばかりである。一週間の出張暮らしと2度の航海という、東北開墾はなかなか荒っぽい新人教育をしてるなぁ。自分だったら絶対無理だわ。とか思いつつ、たぶん彼はいま急激な成長をしてるんだと思われる、そのなんでもまだ吸い込めるスポンジっぷりにちょっと目が眩んでしまいそうになる。

しかしこのカメラ。自費で買うっていうのがポイントなんだな。絶対に備品を買い与えてはいけない。自腹切ってこそ、大事に扱うし、使いこなせるようになりたいと思うのだから。そこから先は、ものを見る目があるかどうかだけれど。






東北食べる通信 2015年6月号 海胆(岩手県洋野町)

もう文句なしの圧倒的な晴天。現地に滞在できる時間が極めて少なかったにもかかわらず、素晴らしい天候と潮の引き具合に恵まれ、ボリビアのウユニ塩湖のような、カリオストロの城の湖に浮かび上がる古代ローマの遺跡のような、ウニ牧場を撮影することができた。

そして今回、24回目の入稿である。創刊からまる2年が終了した。気がつけば読者はキャパシティ限界の1,500人を超え上限に達してしまった。元々1,500人を上限に設定したのは、一度に食べものが配送できる量的なキャパシティとして、これを超えると取材できる農家さん、漁師さんが限られてしまうだろう、ということが理由だった。そして現在は200人待ちという状態になっている。このことは雪が解けはじめた頃からずうっと気になっており、そもそも1,500人までの人にしか読んでもらえないというのもなんだか辛い。遡ると創刊したばかりの頃の2013年の7月号は数百人の方にしか届いてないので、これをなんとか広くお届けする方法はないだろうか?我々はいつまでたっても再放送しないテレビ放送局であり続けるんだろうか?






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