40号目にして初めての東北開墾の拠点であり、編集長の地元でもある岩手県花巻市を取材した。今回取材先である、酒勾徹さんの農園ウレシパモシリに行ったのは、もうかれこれ3年半も前の2013年の、まだあたり一面セピア色で東北の遅い遅い春が始まる少し前の季節だった。

あのとき農園の田んぼの畦道に一定間隔に生えているハンノキの稲架木を見たとき、自分の中の記憶の風景と結びついた。それはまぎれもなく、僕の父方の祖母が貼り絵に描いていた、半世紀以上前の新潟県の田園風景だった。その絵は水田の季節の夕景を描いており、長い長い影が田んぼに落ちていて、世界のどこかの国の農村を描いた絵だと思っていたが、一定間隔に生えている木は稲刈りの後の稲を干して乾燥させるための木であり、越後地方の文化であった。当然この風景は、新潟県にはいまはもう無い。直線に引かれただだっぴろい田んぼが延々と広がっているだけである。酒勾さんはパーマカルチャーとご自身の農体験から、そのハンノキの科学的意味を見いだし実践されているのだが、2013年に初めて行ったとき岩手県の農業というのはちゃんと古いものが残っているんだな、と、勝手に勘違いし美化して見ていた。

今回の取材の最後、酒勾さんはこんなことを言っていた。

「農業には何が起こるかわからない不安とともに、何が起こるかわからない期待もあって、今の時代はその不安を弱める方にばかりエネルギーを費やしているから、未来に希望を見出しにくくなっているんじゃないだろうか。結果をコントロールしようとばかりしていて、コントロールしたがる人たちばかりが利益を得ている。これじゃ毎年種をまけば芽が出るということをイメージできないよなぁ。」

というようなことをポロッと言われた。つくるということが専業化されて、特殊な技能がなければできないと無意識に思われて、または思わされていて、その結果が、新しい可能性を生み出すことすらイメージできなくなっている。僕らの祖父母の時代にはなんでも自分でつくることが当たり前で、そのことが僕らの世代にはスポイルされていると、前々から言い続けてきた。そして生産と消費の分離についてあれこれ考えてきたけれど、ここまでメタにその問題の核心を説明した人はいなかったなあと。これはまことに真理だなあと。一年半ほど前から、ベランダ菜園をしてきたけれども、食べることがしたいというよりは、その成長プロセスを見たい、ということがきっかけだったが、成長プロセスを逐次見れるということは、かなり深く人の深層意識に影響しているらしい。食べものの収量は少なくても、育てることそれ自体に意味があるんだということを得心した。



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