デザインの窓 第1回 佐藤卓編
speaker:竹村真一氏 × 佐藤卓氏
date & place:2006年5月9日
大手町カフェにて

※ 当記事は筆者が現場で速記した記録であり、聞き間違え等も含めて事実と異なっている場合があります


竹村
世界を発見する新しい窓。社会の中で佐藤さんその他の素晴らしいデザインを、その人の作品として息づいている、そういう触媒をつくっていくのがデザイン。そういう意味でデザインのことを、作品評論あるいは作家論ではなくて、社会の価値として浮き彫りにしたい。ふつうのデザイナーの場合は、牛乳とかマテリアルとか、モノのできた後のことを考えるのが通常のグラフィックデザインと一般には思われているんですね。そこが佐藤さんの場合は、遡行してるんですね。プロダクトができる前を辿り直している。我々日常つかってるものが、どうやってできてきて、人類の知恵のものすごい集積ですよ。車も、何万点という集積が集まっている。当たり前のモノにもっと驚いてもいいと思う。佐藤さんの仕事にはそれだけの力を感じる。デザインという仕事の意味が、佐藤さんのお仕事を通じて、大きく拡張されていくんじゃないか。佐藤さんの仕事をみていて、いつもそう思うんです。

佐藤
デザインの窓第一回として私がふさわしいのかということもありますが、竹村さんとの出会いは私にとっては必然だった。デザインの審査会で出会ったのですが、竹村さんがその後されていることや本を読んでみて、深く繋がっているんですね。デザインを超えて、環境の問題とかテクノロジーの問題とか、いろいろなところに踏み込んでいく。へんな話なんですけど、デザイナーをやってる場合じゃないんじゃないか。デザインというデザイナーが身に付けたスキルを、デザインのためにつかう意味は無いんじゃないかと、より思えるようになってきて、興味の対象がデザインを超えて、深く広がってしまった。竹村さんがスイッチをいれてくれてしまった。身の回りで起きていることが、いかにすごいことか。江戸時代の三浦梅園さん。枯れ木に花咲くより、生木に花咲くを驚け。

佐藤
仕事というのはある機会があることによって生まれますが、仕事って窓だと思います。きっかけであって、そこから入ってもちろん具体的な依頼があるですけども、そこからいろいろ理解していくうちに、いろいろな問題を発見していくわけですね。それを発見してしまったら、それをないがしろに先には進めないので、なぜですか?って問いかけていったら今のようなデザイナーになってしまった。仕事ということもぜんぶ窓だな、と。僕は最初、広告代理店ていうとこで仕事をしていたんですけど、これは人に届かないのは広告じゃないんじゃないか。遡るとパッケージもあるし、名前もあるし、中身もあるし。そこが問題だから、せっかくおいしいウイスキーをつくっているのに、人に届かないんじゃないか。


ニッカウヰスキー ピュアモルト (1984)

飲みたいウイスキーが一本もないんです、って仕事の現場で一言言ったことから始まっているんです。ああ、社会人ていうのはこういうことに答えていかなくてはいけないんだな、って、自分が飲みたいウイスキーってなんなのか考えてもいいですか?ってことで、始まったんです。自分が考えて理解できないことは、絶対に誰かに届けることができないって思ったんです。なにを引き出してあげればいいのか。名前はつけないほうがいい。ニッカウイスキーのピュアモルトってことでいいのではないか。ネーミングは名前をつけるってことを前提になってますけど、つけないってことは無いんでしょうか?デザインすることを、しない、っていうことは無いんでしょうか?ウイスキーの色とか味とか、ラベル、ネーミング。それまであったウイスキーっていう概念に、全部クエスチョンマークをつけるってことを、そうやって疑問を投げかけていくこと。さっき竹村さんがおっしゃった、デザインをするってことが多い中で、ぜんぶしないことで逆に届くんじゃないか。だからこれはテレビコマーシャルもしなかった。代理店は儲からないですね。コマーシャルをしない。人が人に伝えてくれることに力をいれるとお金がかからないんじゃないか。媒体は仕事に使わずに、しゃがく、って言ってつり革のえについている、あれです。予算を使わずにデザインする。このウイスキーは1984年のものです。

竹村
滅多にデザイナーが工場まで行くってことはなかったんですよね。あと引き算てことで、これ、ピュアモルトの色がみえますよね。これもマイナスのデザインだった?

佐藤
通常よくあるボルトってのは、なんとかオールドって、真っ黒なやつとかありますよね。こんなにきれいな琥珀色なのに色がついているのはなんでだろう?おいてあるのが銀座かなにかで、うすぐらーいところで、女性がそそぐと、高く感じますよね。高級感だったんじゃないかと。


明治おいしい牛乳 (2001)

「ふつう」深澤直人さんもこの言葉をつかっております。とてもふつうっていうことが大事な時代になってきたなと思います。「そのまま」自分のうちの冷蔵庫のなかに、なにかデザインされた牛乳があったらやだなぁって思ったんです。もともと人がつくったものだから、それを届けるのが仕事。浮かぶときと、実際やってみてこういうことだったんだ、っていうときと、時によって違います。

おいしい牛乳のネーミングは、三ついただきまして「おいしい牛乳」「美味」「ピュアレ」。おいしい牛乳って、これ名前にならないと思います、って最初のプレゼンのときに言っちゃったんです。でも作業を進めていくうちに、だんだんフォーカスがびゅーーっとあってきたときに、この名前でいけるんじゃないか、って思ったんです。


ロッテ キシリトールガム (1997)

ガムは歯に悪い。って言われてきたんですけど、ガムの歴史が変わるってことが見えてですね、デンタルっていう考え方で話を聞いたときに、出てきました。歯ブラシっていうと歯医者さんとか思ってしまいますけど、最初デザインするときに、奥から見た歯を想像してたんです。もしかしてこれ奥歯じゃないか、って気が付いたらそれでいいなと。

竹村
言われてみるまで歯だと思わなかったですね。

佐藤
「部分」それが全てだ、って思うときがあると思うんですけど、それが主役じゃないんだ。チューインガムはチューインガムでもなくて、それ以上手前でも奥でも困る。そのたたずまいが重要で、全体を考えないと。できるだけデザイン言語を減らしてあげる。全体の中で食べてる持ってる。テーブルやいすやその他とどう響きあって、部分ていう意識がホント大事なんだと。

竹村
自分の「分」自己っていうととじこまってる感じなんですけど。米展ていうのを佐藤さんと一緒にしかけたんですけど、米をやったときに面白いのは、棚田って、上から水を担保して降りてくるんですけど、水は、常に誰かの上流であり、下流であると。じゃあ、どういうストリームの中の自分なのか。水田が日本の集団意識を作ったと。インターネット社会、あるいはリサイクルをあたりまえに考える時代において、非常に先取りしている。佐藤さんのデザインワークっていうのは、本当にそういうことを考えて、全体のコンテクストの中に考えて、一番感じたのは最初のピュアモルトですよ。どうだウイスキー、って主張してるのではなくて。

佐藤
最初に手探りでした仕事が、経験をつんでバランスを取っていく。その後のデザインにおいて、クリアになっていくと。あの仕事は一つ杭を打ってしまった。いつも自分にきびしい状況を与えてくれてしまっていると。ちょっとチューインガム、デザイン言語を減らすことによって、色を変えると味違いがうまれます。クールミントガム。それをリニューアル、非常に古いんですが。当然私以前にクールミントガムがあって、そこが「分」なんですね。間をやっている。それまでの歴史も全部残したんです。ペンギンとか、三日月とか。基本的には財産を変えて、構造を変えてるだけなんです。何か新しくすることって簡単なんですけど、新しくすることって本当にいいのか?どうやったら先につなげられるのかって考えるんですけど、間にいると、私以降にもあって、これは新しく生まれるものよりも、つなぐときのほうが圧倒的に難しい。

竹村
ぜんぜん飛んじゃうようですけれど、遺伝子って研究すればするほど、ものすごく面白いことがたくさんあるんですけど、体のかたちをつくる遺伝子って、かたちづくりの遺伝子。それが実は環境の歴史からいうと、はえをつくる同じ遺伝子が、人間をつくるさいにできる遺伝子。どうがあって、手足があってっていう構造はにてますよね。腕や足で働いている遺伝子って、はえでもつかわれていて、単語は同じなんですね。単語の使われている回数が違うかもしれないけど、ATGCっていう文字だけではなく、つかわれている単語まで同じなんですね。一つの共通言語の遺産をつなぐかたちで残っている。ふつうのデザイナーって未来の公共財をつくるっていう意識で仕事していないと思うんですけど。

佐藤
特にグラフィックデザイナーからはいりましたんで、表層の皮膜のようなところから、ちょっとおすとポンっと変えることができちゃう。こんなん変えようと思ったら版かえちゃえばいいんですから、変えようとおもったら簡単に変わるけど、デリケートに関わってるって考えないと、大変危険なんじゃないか。

竹村
素材に負けるっていうか、素材にあんまりこっちが無関係なことをしようとしても、素材にまけちゃうし、安全弁がある。逆にそれがないとこでやってるってのは慎重さを要求される。デジタル時計なんか特にそうですね。デザイナーはフィジカルなものにたいしてリスペクトする余地がなくなってきている。プロダクトデザインにおいても出てきちゃってますね。

佐藤
誰でもできるのではないところが、プロフェッショナル。皮膜。デリケートなところですよね。

クールミント。それまではペンギンにがくがあって、南極だったんですけど、くじらがいたりして、潮が噴いてたんですね。その潮がぴきっと、二つに分かれている。噂によって人と人が繋がるって余地をつくりたくてこんなことしました。

人の記憶は残る。それに対して責任を感じることは多くないんじゃないか。脳の中には何がのこっているか。ぐるっとまわっているNTTのシンボルマークをかいてみようっていうと、みんなバラバラなんですよ。ふとさもちがうし。でも、記憶の幅が分かるんですよ。曖昧に残ってる記憶っていうのをどうしていくかって、あまりデザインでは語られてなかった。

竹村
それは人間の脳の特徴ですね。コンピュータに比べてですけど。記憶が歪曲していくんですね。それが人間の創造性なんですけど、記憶をゆがめていくことで、これがリンゴだ!ってしちゃうと、ちょっと特徴が違うリンゴを見てもリンゴだとはおもえなくなってしまうっていうか。デザインていうワークもいかに作品として完結させていくか。

佐藤さんはちょうど分水嶺になるときに、このお仕事に入られたんだなって思いますよ。

佐藤
ちょうどピュアモルトのときに、デザインてなんなのか壊されたんですよ。

ゼナ。滋養強壮剤なんですけど、大正製薬さんがだいぶなやまれたんですけど、ウイラプラマをいれたドリンク剤。毎日飲んでいる人がいないと思うんですけども、なんで、人はこういうものに手を出すのかって考えたんですけど「わからない」から買うんですね。インターフェイスとして、わかるっていうのはこういうものではもしかしたら届かないかもしれないですね。わからないってことで作った珍しいデザインですね。どっちかっていうとドリンク剤みたいな世界ですが、この商品をとりまく多くの人の記憶ですね。記憶に届かなければいけないんだって思って、これプレゼンテーションしましたら、わからないでは、わからないですね。

竹村
なんか秘境的ですよね。

佐藤
わたくし大学のときに模様を研究してまして、模様のパターンがもっているエネルギーってすごいなぁと。そのわからない部分のエネルギーを編集してみました。

竹村
カルトっていうのは隠す、ってことですね。

佐藤
実はあの模様はポルトガル語で暗号化されているんです。

「らしさ」その人らしさ。らしさをどう出してくるか。

「ほどほど」新しいものと、新しいニューヨークというようなイメージ。モダンなものと、ほどほどにとりまぜたものが、るみこさんていうメーキャップアーティストとつくったんですが、マテリアルにかなり意識がいったときに、1986年くらいですが、そのまま塗装しない。これ楕円なので立たないんですね。なんでリップスティックがたたなきゃいけないんだ。って。

「素材と形」たまごとかいろんなものが記憶に残ってますが、1920年代から流線型の時代とか、ミッドセンチュリーとか。未来世紀ブラジルという映画。過去と未来が同居している世界。だいぶショッキングだったんですけど。

竹村
デザインのプロセスで、触覚っていうのがすごく大事な役割を果たすはずなのに、コンピュータだけで視覚的なプロセスだけでデザインできるわけないはずなのに、ぜんぜんロジックが違うはずなんだ。脳の地図を作っていくと、唇と手の部分からのインプットが異様に大きいので、神経の地図をつくると、やたら唇と脳の大きな人ができる。

佐藤
シャープペンで書くと、ものすごい数の円弧が必要なんですけど、それをコンピュータに入力すると、平気で三本とかにへらしちゃうんですね。もうしわけないんですけど、それを「足りない」ってなんどもなおさせていただきました。

竹村
偽物はわかるんですね。本物の線にはゆらぎがある。偽物は迷う必要がないですから。

コンピュータでかかれてしまった線を人は見せられると、それでいいんだって思いたくなる。探していく前に、もうそこにフォーカスされちゃうんで、探していた境界線は非常にデリケートなものなんですけど、一回消え去ったものはもうたぶんみえてこない。車のデザインなんかで魅力的なものは、いい意味での曖昧な、いいと思っちゃうんですね。国産の車が、特にエクステリアデザイン。やっぱりちょっと安易に線をつくりすぎてるものが多いんじゃないかなと思います。

竹村
人間がゆらいでいくかなで、創造していく。ファシズムに傾倒していく人間がまたそこにいる。デザインする自由から逃走しているデザインがあるんじゃないかって想像する必要がありますねぇ。

京都の友禅なんかでもね、10行程くらいあるんですよ。染まらない部分に色がしみないようなのり付けをして、地がいろいろ染まっていって、線の部分だけ残っていく。絵師が描いた線を、ノリを載せていく人が、やわな線にしちゃったらそれで終わりなんですね。絵師は一生絵だけを描く。糊師はのりづけだけをする。


P701iD

「落ち着く」。ホタルみたいに光る。水滴がピチョンて、音とか。ただ知らせるっていうだけの強い伝え方だけでいいんだろうか?もっと日本人はデリケートに、音とか光とつきあってきたんじゃないか。やはり日本人はすごくデリケートなことを体感できる。

竹村
気配のコミュニケーション。アンビエントなところがすごい稀薄になっている。存在感が伝えられるデザインてもっともっとあっていいんじゃないか。風鈴なんかでもそうですしね。階段をのぼってくる音。直接姿を現す前にでてくる音。

佐藤
待ち受け画面なんですが、すぐに写真とれてしまうんで、みんなかえてしまうので捨てられてしまう、っていうようなつもりではなくつくってみたらいいのではないか。原寸の方眼紙。ここに虫がとまるとサイズがわかる。次は畳原寸。畳に置くと透けているように思う。上から目盛りと針がふってきて、その時間の時計になる。90度正方形の方眼がまわっていく。それだけのものですが。


デザインの解剖

博物館って、ホンモノがあることの意味って、後代になってみるとわかる。同じ時から引き出せる情報がすくなかったのにデジタルによって増えてくる。もののなかには、今の時点で認識できること以上のものがあるのかもしれないですね。そういうものを企業自身も担保してないっていうのは驚きですね。一人の人間がすべてをしっているってことは、分業制なのでありえない。全部知っているひとはいない。でも我々はメーカーの人はなんでも知っているような錯覚をしているんです。メーカーの方が、自分のところでつくっているものってこういうものなんだってことに気が付いたメーカーの方がいるんですよ。社内の意識改革になったんです。



佐藤卓デザイン事務所
http://www.tsdo.jp/