デザインの窓 第2回 面出薫編
speaker:竹村真一氏×面出薫氏
date & place:2006年7月6日
大手町カフェにて

※ 当記事は筆者が現場で速記した記録であり、聞き間違え等も含めて事実と異なっている場合があります


竹村
2003年に我々は「100万人のキャンドルナイト」(http://www.candle-night.org/)をやったんですが、そしたら、痛烈な批評をうけまして、それを書かれてるのが照明家の方だったんですね。あの頃は原発の問題がありましたし、我々は光の過剰消費をしているんじゃないか。エレガントな照明。それに対してこれはいいことだと書いてもらえたのが照明デザイナーの方だったんですね。今の街は光の過食症にかかっているということを書かれている先生だったんですね。実にうまく光と陰をつくって、キャンドルの世界に通じさ作品をつくられていた。それで非常に共感しまして自らのお仕事としてもキャンドルナイトをやっていただけるようになりました。光の過食症とはどういうことか。具体的なスライドを見ながらお話ができたらと思います。

大学の先生っていうには過激な活動もされてるんですよね。隠灯(いんとう)って。

面出
元々は街でなにかやろうとしても、明るすぎるんで、消せっていっても配線を切るわけにはいかないんで、隠灯っていって、黒い風呂敷でかくしちゃう。そもそもリセットされた闇が必要で、そこにすぽっと光がくることでできるんで、闇を探してもなかなか東京には無い。

竹村
照明デザインのお仕事をされる当初からそういう感覚をお持ちだったんですか?

面出
30年前。右肩上がりの経済でどんどん照明をつぎこめばよかったんだけど、光と陰は一体で、うまく陰をデザインするほうがかっこいいんじゃないかって思った「あかるいナショナル」って標語があったくらいで。照明デザインに入ってきたのは70年代の後半くらいで、どうかんがえてみても日本人は、戦後の暗いイメージを払拭するために、均一にそれを広めようとして、時間が無いんですね。常に均一に明るい世界。太陽が明るくなったり暗くなったり。夜になって四畳半にがんがんと、真っ白な蛍光灯がついていて、それを日本人は明るい家庭って、それは非常に清潔で明るいことで、明るい家庭の原点だと思ったんだろうけど。必ず光があるとこ陰があるとこ、うつろいがあるんですね。体内時計ががーっと狂ってきたんでしょうね。

竹村
ヨーロッパとか、外国には当時の日本とはちょっとちがうトーンがあったと思うんですが、そのへんの照明デザイナーとしての自らつくっていかれる過程でどうつくってきたのか。

面出
僕はじっとしてるのが苦手なので、地球上にはいろんな地方が集まってるわけで、そこにぜんぜん違った固有の光の文化ってのがあるんですね。そこにいかなきゃわからないし、僕らとはぜんぜん反対側の幸せ感を持ってる、光の美学をもってるはずなんですよ。そういう人たちと出会うのは不可欠だと思いましたね。僕は学生時代の時からかなり光を体感してきた。ワールドライティングジャーニーフィールドワークの軌跡。90年代から照明探偵団という活動をしてきました。今年はどこにいこうか。


パリ。非常に軸線状にできた街で、夜に来い、ってくらい照明がよくできた都市なのですが。


エッフェル塔がね、よくできてて、日本は東京タワーっていって、まねてつくったけど、どうつくっても構造体としてちがうから、まねることができない。パリは夜のはとバスみたいなのがあって、ずいぶんパリは夜の観光で儲けてるみたいだって。夜と昼はまったく違う楽しみ方ができる、パリは。

竹村
暗くなった世界を明るくするんだ!という潮流が二十世紀の頭にあった。光が善ていう発想がすごくあったと思うし、ヨーロッパにも明るいナショナルみたいな動きはあったんですかね?

面出
あったんでしょうね。電飾の二十四時間消えない世界ってのをマンハッタンに求めたり、それはそうはならずに修正されていくんだろうけど。


リヨンてのはパリより夜は綺麗だよって、市長さんも言ってる。公共の場所で青い蛍光灯をつかっている。日本でやったら絶対行政の人が普通の蛍光灯にしてくださいって、言われちゃう。


ストックホルムで一番好きなのは、ブルーモーメントっていって、白夜の夏の終わりの頃の空ですね。あー青だー、っていう黄昏時があるんだけど、恋に落ちちゃう。照明も消して昼の再現ではなくて、夜の色になっている。オレンジの自然光の色身をまねしている。空の色を背景に照明を考える。暮れきらない頃に、空とのコントラストがすごい綺麗なんだよね。日が暮れる瞬間に、三脚をもって飛び回る瞬間がある。なかなか自然てのはうまくできたもんでね、心をうまく打つようになっている。

カトマンズ。世界照明会議で何を発表するかと思ったら、うちの国は国土の14%が電化されましたー!なんて発表をしている、古の日本に似た状態なんでしょうね。


シンガポールはうちの事務所もあるので、しょっちゅう行ってる。シンガポールは清潔すぎる街になってきていて、カオスを取り戻そうという動きがある。


イスタンブール。イスラムの明かりっていうのは、西洋でも東洋でもない明かりですね。コーランが、どこからきこえてくるのかなあっていうような、光のかく乱があって。太陽の光の強いとこはむしろ陰をどう生かそうとするか。


ボスポラス海峡の光。この写真なんかみてると、一日に五回の最後のコーランが聞こえてきたりしてね。照明なんかつけて好きにしてくれっていうようになったのは、この100年くらいなんだ。


シカゴも犯罪をおいだすために光をがんがんたいたんだって警察所長がデータをみせて自信満々に言ってたけど、それでまっきいろなんだよね。でもそれで犯罪がなくなるかっていうと必ずどっかにいってるだけだから。


バルセロナ。街のどこをきりとるかってのはあって、街の象徴的なとこにシンボライズするために、光をつかっている。サグラダファミリアなんて当然だし。

竹村
撮られた年代もまちまちかもしれないし、一概にはいえないかもしれませんが、街の陰影をうまくつくっていくようなスタイルは、60年代、50年代くらいからあったのか?

面出
たとえば、パリ万博に象徴されるようなところから始まって、我々はパリなどから学ぶことがおおかった。日の文化ってのは日本ではたいしたことは無いんで。上海なんてもうやることないくらいに明るくなっている。

竹村
割と国際的に照明デザイナーってのはおたがいの街をやりあってるって感じなんですか?

面出
いろんなところで照明デザイナーってのは起用されるようになっているんで、おまえはあそこやってるのか。ここやってるのかって、世界中にスターバックスができちゃうような同じような照明デザインはないだろうって、我々は思っているんだが。必要なものはそれぞれ違うよね。

竹村
リヨンのカルチャーってのはこうなんだ、って教えられたりですね、ガイドラインがだされてびっくりすることってあるんですか?

面出
ありますね。その街ですごい大切にしているもの。リヨンやパリってのは、ラスベガスで大事にしてるものとは違うし、しかし東京みたいな商業主義的みたいなとこもあるし。結局は日本人はものまねしてるのかみたいに言われちゃうんで。僕たちはいまシンガポールの中心市街地のガイドラインをつくっているんですが、春夏秋冬の季節感なんてまるでない、ってところで照明計画をつくるってどういうことなんだ?って。僕らはあきらかに北緯一度の街がどうやっててきたらいいんだ?って議論をしてますけど。

竹村
先ほど来「時間」てお話が入ってきていますが。シンガポールの場合はそれはなくて常夏。北欧だと白夜っていう街もある。

面出
これはなかなかいたしかたない話で、僕たちは日本のめまぐるしい季節感の流れが大切なところに育って、で、季節感のないところは、どうしても受け入れられない。雪だとかこうようだとか、ないとこでずっと暮らしている人もいるわけで、たくさんの人が鬱病になるようなとこで太陽の恩恵が大切なところで暮らしている人がいるわけで、光の恩恵ってのは、赤道直下より太陽の恩恵が少ないとこのほうがいろいろ工夫があった。僕たちは時を取り戻すことだと、光のデザインは時間のデザインだと思っていて、それがすこしづつ、夜の二時間でも違うデザインをしている。たとえば家庭のリビングルームでも、食事が終わったらすこし暗くしようかとか。朝を迎えるためにはこういう光じゃないの?っていうのはできてくる。そういうなかで、基本的な考え方は当然省エネルギーになってくる。

竹村
犯罪がおこらないように、みたいな照明の使い方は非常に原始的であるし、人をばかにした照明デザインであると思うし。もっともっと時間によってかわったらいいんじゃないか。

面出
時間の経過っていうものが、はっきりとわかるばあいと、心理的には明るくなった暗くなったったって、そういうことでもしないとなかなか人口照明から抜け出せない。

竹村
日本は陰影礼賛の、微分されたグラデーションをみてきたと思うんですけど。

面出
日本人はイエスノーの間の光を非常によく結んでいると思うし。そういうことをよしとする。グラデーション文化っていうかね。海外の照明家と話していると、いやー、日本食はうまいねー、って言われてほんとにおまえたちにわかるか?ってのもあるし、空間をつくっているってとこで行き詰まってると思うんですよ。

僕の仕事を紹介すると、Lighting Planners Associatesっていう事務所をやっていて「これをライトアップしてくれ」って言われていくと明るくする、ってことを仕事にしてきてるんだけど、人間と光の気持ちいい関係を、クライアントに苦言を申し上げ、建築家とやりあうことでできるんじゃないかと思ったんですよ。


妹島和世さんと92年にパチンコ屋をつくりました。


東京国際フォーラムは私たちが六年半かかってできた。1990年に頼まれて、事務所の設立の三日後だった。建築照明のデザインてのはこういうふうにしてできるんだと思った。東京都民をすくうノアの方舟のごとく都庁後ににういていてほしいと思った。600台の白熱灯が埋め込まれてるのです。これは建築設計者の、建築そのものが照明器具みたいなものにしようって意図があったんですね。


そのあとに京都駅。京都の人にとっては、けったいなものができたなってことだったんですけど、僕たちは陰影礼賛をはじめからコンセプトにだして、陰をデザインした。ここでは綺麗な陰影をきちんとつくろうじゃないか。必要な光を必要なところにだけだしていって、必要ないとこはけしていった。最終的には62パーセントのエネルギーをカットすることができた。従来の駅舎の容積と比較して、62パーセント。遠くにはなれればはなれるほど、ナローなひかりにする。光りのざぶとんなんて呼んでるんですが。そこに座りたいなんて人がでてきたり。

竹村
都市の発生ってのは年に一度の祝祭日を通年化したものだ、って社会学ではよく言われるんですけど。

面出
どうしても都市ってのは安全だなんだっていわれてつくられてきて、そういう基本的な都市機能だけが国土交通省でもなんでも言われてきて、でも、お互いの表情がちゃんと見えるような、または都市の中に「けとはれ」みたいなものがきちんと存在するほうがいいんじゃないか。

竹村
以前、サウンドスケープデザイナーと話したとき、音を触媒として使う。風鈴てのは音を聞かせることが目的じゃなくて、橋に聞こえるかきこえないか程度の音をいれておいて、あれ、錯覚かなくらいな。実は橋だからせせらぎが聞こえてくるわけじゃないですか。その耳のふたをちょっととってやるだけで、それを触媒として、川のせせらぎがきこえてくる。それで面出さんのお話をきいていて、触媒としての照明をつくられていて、人の作り出す陰影をつくりだしている。

面出
僕たちの仕事っていうのは黒子であって、あそこの空間いいよねって言われたときにんまりするような、罠をつくっている。


仙台メディアテーク。ここの十三本のチューブに自然光いれるようなことできないかな?って伊藤さんに言われて、いや、できませんって言ったんだけど。伊藤さんにとっても非常に野心的で、もともと建築という重たいものが、風のように軽くならないか。面出さん、遠慮しないで光で建築をつくってくれたらいいんだよ。って。


オアシス21。名古屋の栄の駅前にできたバスターミナルですね。


次は病院。病人になったつもりでなんども寝てみたんだけど、天井はきたないんだろうなって。原研哉さんは非常にやさしいグラフィックスつくってくれたし。


広島で、原爆でなくなったかたの慰霊碑なんだけど、なくなった方のぶんだけの光ファイバーを水のなかにうめこんでみて、できたらすごい感動的に綺麗だった。


MOMAの建築物をつくった谷口さんがゴミ工場をこんなに綺麗につくって。

竹村
僕らの社会ってすごいブラックボックスだと思うし、こういうものが明るくなっていること。どれだけ僕らの意識に中にうめこんでいけるかって。こういうものに照明することって、せいぜい看板に照明するとかって程度だとされていたから、非常に意義のあるお仕事ですね。

面出
これはねオープン当時、5時になったらけしちゃうとか、えっ!つけないの!みたいな話もあって。


でもこの下の公園は通れるようにして広島の新しい夜のデートスポットにしようって谷口さんのアイデアがあった。


京都の迎賓館。ジョージブッシュがここに一泊したんですねラグジュアリーなグラデーションをつくった。

竹村
発想としては一貫している。光の過食症をどうダイエットするか。

面出
キャンドルナイトを竹村さんにお誘いされて、いわゆるキャットストリート。竹村さんは都市の川ってことでもやられていて、そこに光の川を流そうじゃないかってことではじまりました。2003年の冬至の日に、キャットストリートキャンドルパフォーマンス + 渋谷川のキャンドルナイトっていう名前でやりました。

竹村
ヒって言葉の語源まで僕は調べてないんですけど。かりってことばには、狩りにあるように生命力をもらう、ってことでもあるんじゃないかと思うんですね「ひかり」。ヒのことをよく知っている人のことを「ひじり」って偉い人のことを言うんですね。ヒ、って言葉の中には時間がビルトインされているんですね。時間性を持たない光という道具で、いかに古典的な光の時代をつくることに腐心してきたんだなってことが今日よくわかったんですけど。

面出
そんなに偉そうなもんじゃないですよ。僕たちは自然光から学んでいる。それは明らかに太陽の光であり、地球のマグマであり、どんなに新しい光源ができてきても、二つの原点のイミテーションでしかない。そうではないとこにいったら、ちょっとあぶないぞって。現代人は光の人体実験をされてるようなところがある。

飲食とかだと、居心地が良くなるからとかで、光をやったことで儲かるって具体的にでてくるんだけど、さきほど言った病院だとか、光りの助けを必要としているところはまだまだたくさんある。光を入れることで儲かるとこも多いけど、そうでないとこをやってきたいですね。

学生のうちは、社会で起こっているさまざまなことに憤りを感じることですよ。その憤りをなんとかしようって気持ちがデザインすることになったりするから。

今「タージマハルをどうやって照らしたらいいか」なんて難題をもらっているんだけど、月明かりで照らしたら綺麗だと思うんだよね。月明かりは0.2ルクスなんだけど「満月の夜に、峠を越す」なんて話があるくらいで、じゅうぶん明るいはずなんですよ。エネルギーをつかって、てらしているなんでのは30年くらいでずいぶんかわってくる。街路灯なんてあったね、って世界になってくる。LEDはあと数年であきらかに蛍光灯の発光効率を超える。そうなってくるといかに地球規模でリーズナブルに光をつかうかって話が出てくるね。



Lighting Planners Associates
http://www.lighting.co.jp/


100万人のキャンドルナイト 照明探偵団
http://shomei-tanteidan.org/category/fieldwork/candlenight/