デザインの窓 第3回 内田繁編
speaker:竹村真一氏×内田繁氏
date & place:2006年8月3日
大手町カフェにて

※ 当記事は筆者が現場で速記した記録であり、聞き間違え等も含めて事実と異なっている場合があります


内田
空白。日本文化のすごいところは、空白の部分のそうでない部分が絶妙にまじりあっていて。垣根。日本はどんな粗末な家でも垣根があるんです。垣根の中が平和的領域。この垣根から邪悪な霊とか怨霊とか。よるってのは自分の魂が抜けないようにを脚を抱えて寝てるんですね。特に縄文などは。日本の垣根は粗末でもなんでもいいんです。印になっていれば。日本の空間てのは、認識的空間なのであって、物理的なものではないんですね。日本の家ってのは固定された家ではなくて、可変なんですね。西洋の家ってのは微動だもしないで。日本の夏ってのはモンスーンで、それをやり過ごすには夏障子が必要なんですよ。

古田織部が亡くなったときに茶会を開いたんですね。花見をしてるとこなんですが、これは西洋では見れない光景ですが、表で靴を脱いでござに座った瞬間になんとも言えない落ち着きを感じるでしょ。あの三畳のござはなんなのかっていうと、家なんですよ。家が移動しちゃう文化なんてそう滅多に無い。どんどん文化が深まっていくとあそび。あそびって言ったってルールなんだから。ルールって言ったって近代が作ったルールとは違いますよ。強制されてやるようなことは遊びではないってことなんだろうね。茶の湯の世界ってのは超越した世界って思われてるだろうけど、そうではないんだよね。

柳宗悦が発見した朝鮮の壺。韓国は白磁ですから、真っ白に抜けてる。朝鮮人の心はここにすべて入っている。日本てのは昔から白がつくれなかったんですよ。すごいつくりたかった。そしてその後にできた焼き物の、もとになっているもの。

雨がふってきた。それにあわてふためいた。それだけの浮世絵なんですが、日常生活を描いている。俳句で「蛙飛び込む水の音」それってただ蛙が水にとびこんだってことだけでしょ。でもそこからすごい想像するんです。夏なのかなんなのか。


田中一光さんの能のポスターです。能のこともなにも出さずに、観世能だって、文字の色とか構成だけで見えてくる。ポスターがすごいなって思うのは、リオタールですか、彼が言うんですがたった一枚のなかですべての情報が切り取られていて、すべての人につたえていく。


ウォルフガングっていうアーティストですが、牛乳をずーっと落としていってるとこですが、牛乳が、これは生命なんですが、それが離されたことを表現している。

花粉てのはその瞬間、永続的なものの見方でなくてね、変化するものは悪であると思っているのだが、こんなものいつまでもあるわけではない。若いアーティスト達は固定化されている。その瞬間しか出会えないものをよくやっているようですね。


赤富士、すべてのものは日本のものなんですが、海外の人に日本のフラジャイルなものがいかに人々を感動させているか。最初は10パーセントわかってくれればいいと思っていた。でも講演してみるとすごいとりかこまれちゃってるんですね。世界の人もいかにいまの固定化された強いものがだめだとおもっているか。

うすさとか、よわさとか、デザインについてのボキャブラリーとしてでてきますが、だいぶ印象がかわってきますね。


黒田泰蔵さんの白磁ですが。さっきの朝鮮のとは違った美しさをもってますね。


私が数年前1993年に作った茶室です。授庵、行庵、草庵、これは折りたたみの茶室です。障子のお化けみたいなもんだね。なかからみたときに、これも非常に認識的な茶室ですね。囲みってのは、利休以降に囲みっていわれてるんですけど、日本の空間は屋根と扉と柱しかない。壁がないんですね。それを千利休が壁をつくっちゃったんです。これは驚きだったでしょうね。利休はそれを障子の上でやってるんですよ。


授庵内部。メッシュの透かせ具合が部分ごとに異なる。


行庵内部は和紙に覆われている。


草庵内部にはランダムなメッシュが木漏れ日のような影を落とす。
これは乱れ貼りって言いまして。ロンドンの美術館にかざられてますが、海外の人はこっちの方が好きみたいですね。


浅葉克己さんのトンパ文字。これは意味があるんだろうね、意味は浅羽克美しかわからない。ふるさとのないデザインは感動が少ないんですよ。試験管のなかでは感動は生まれない。


2000年のミラノのときにつくった茶室なんですが、真っ白なんですよ。日本の空間の音白さってのは、空虚とか無とか、そういう意味をもった言葉「うつ」日本の空間ってそもそもからっぽなんですよ。で、うつってのは、うつわ。からっぽだから飲み物が入るんですね。いつでもゼロにもどる。うつべーすなんですね。うつが、うつろって、うつつ。日本はからっぽからできている。

テキスタイル。編む技術。非常に自由をもっている。テキスタイルみたいな空間をつくってみたいと誰もが思っている。建築はテキスタイルだと、伊藤豊男さんも言っている。

田中さんのインスタレーション。消失か。バニッシング。ふっと消失していくようなことをインスタレーション化してるんでしょ。最近どこの空間もここもどうだけど、ぴしっぴしっぴしっって空間にあきてるんだよ。僕もまだやってるけど。ハンズデザイン賞の審査員なんてやってると「おまえの選ぶものはおまえのつくってるものとぜんぜんちがうな」って言われる。

今かたちってのを消失していこうとしていますね。でもかたちは意味があったのではないか。縄文のかたちは縄文のかたちで呪術的な意味があったんではないか。


竹村
内田繁さんとはだいぶ昔からおつきあいさせていただいておりましたけども、今日のお話は、企画の名前がデザインの窓っていうんですけども、これはデザイン戦略、デザイン思考って名前だったらどうでしょう。これが見事な世界でこれが売れてるんだって、なってしまうので。デザインの窓とは、内田さんの人格を、窓として新しく世界を探検していく。それが窓っていう。

内田
僕はこんなふうにものをみてるんだけど、どうだろうか。
明かりってのは、明かりをつくることがデザインだと思っているけどそうじゃないんだ。闇をつくること。

竹村
どうして京都が日本の文化の中心としてある種のクリエイティビティを発揮できたのか。それは京都に強さがなかったからだ。うつだったんですよ。桓武天皇のの母方は渡来系の方々で、そもそも京都盆地をつくってきたひとたちも渡来系のはた氏であったし、信長秀吉も外来の人であった。そういう強さをひきよせるキャパシティがあった。

内田
パリジャンだったそうだったんだ。ミッテランが非常にどうどうといってましたけど、パリジャンはけして芸術家ではなかった。芸術家を呼び寄せるんだっていってたね。フランスって国の本質ですよ。

竹村
そこでいまでも多様性の悪い方にいってしまっていて、イスラームのスカーフをはぎとろうとしたり普遍性を強要する悪い方にいってしまっていますね。

人間っていう生き物の特徴は、弱さ。弱さを獲得することで多様性をもってきたんですね。人間ていう生物は生まれて一年はたつこともできない。それは人間の頭脳が発達してしまって、産道を通らなくなってしまったから、早産する必要がでてきたって理由があるんだけども。

内田
1968年。僕がいまやってることはすべてこの年に始まったんだ。これは期せずして、マーカランスキーが今年本を出していますが、1968年てのはパリの五月革命、プラハの春、そのときをきっかけにして、10月に行われたトリエンナーレ展が学生達に選挙されてしまうんだね、それがコロンビア大学から始まり東京大学まで。以前は工業化社会だったんですよ。そんな中で人間てのは生きられなくなってくる。1968年てのは、それ以前とそれ以後でだいぶ変わってくる。それまでは社会があって個人があったんでしょうね。期せずしてアランケイがパーソナルコンピュータを発表したのが1968年だったんですね。人間てなんなんだ。ってのが全部ばれちゃった時期だと思うんですね。4つくらいにわかれて考えている。個人の固有性を保持したまま生きられるのか。一方で民族固有の文化を保有したままいけるのか。東西の冷戦が終わったら今度は民族闘争になるだろうと思っていた。これは近代が生み出したある種の悪なんだろうね。ユートピア的なことを言ってきたと思うんですよ。つまり、日本人であったりイスラムであったりとかを消していこうとしたのが近代だったでしょ。建築におけるフラットルーフ、真四角にたてていくでしょ。暑い国は暑いんだから、暑いための形があるんですよ。おそらく民族の固有性ってのはどれだけ僕らは保有できるのだろうか。俺たちはみんな人間だから同じだよな、同じ方向に進めるよな、って言ってたデザイン会議が変わってきた。僕たちは人間だよな。そこから出発しよう。ってのが始まった。そっから始まっていくとある見方がかわっていく。おたくではそんなやり方してるのか、じゃあうちでもやってみよう。どっかで吸い上げてくる。僕はナショナリズムになるってことを言ってるんじゃないんだ。

竹村
工業社会ってのは、規格大量生産をつくるってのが、社会救済のいいことだと思っていたんだ。あのときは、安価で規格化したものを、大量に提供することが、社会的な救済だと思っているんです。バウハウスも標榜していた。それはとてもすばらしかった。そこらへんをすっ飛ばして多様性多様性って言うことが最近多いでおさえときたかったんですが。そして人間の大量生産。同じリズムで動かないと工場と軍隊は動かない。豊かな工業社会ってのはできてこない。でも68年以降の情報社会ってのは、同じことをかんがえつくひとは、二人といなくていいんです。リーナスに共感しながらも、ちょっと違う考えをジグソーパズルをつくっていくことでリナックスっていうものができてきた。そこで財産なのが同一性ではなくて多様性なんですね。情報社会において多様性が無いってのは、損失なんですね。いまだに多くの社会は、工業社会のままで、情報社会を生きている。

内田
さすが竹村さんですね。ひとつおさえておきたいのは、工業が悪いんじゃないんです。工業的な社会の組み立て方が割るいんだな。さっきの救済のことはおさえておいて、でも、工業でないとものは生まれてこないんだ。そのすばらしかった工業ってものを、この100年あまりの間に堕落させてしまったんだよ。僕らはなにが堕落させてしまったのかはわかってるんだよ。

竹村
工業が堕落してしまったってのは、問題解決のプロセスをショートカットして、つくれるようになったから、ウェブの可能性が言われていますけど、本当にクリエイティブな能力をもっている人にとってはインターネットから情報をもってくればつくれてしまうから、いろいろつくれるようになったのですが、逆に学生のレポートがグーグルからもってきたものをまとめてしまうようなものになってしまう。もののばあいは、ものがあるから、ものの存在感でごまかさせれてしまうとこがある。

内田
大量生産て問題をけして問題だと思わない方がいい。トヨタさんとか、日産さんとか、偉大なる部品メーカーになってほしい。そしたら、いかに世の中クリエイティブになるか。お米をつくっておいてくれると、おせんべいにもお餅にもなるし。それをトヨタさんに言ったら鼻で笑われたけどね。

竹村
多様性、不揃いなことは力なのか?それが力をもつのは、すごく基本的なところで共通化されてなければならない。今トヨタのことでおっしゃったのは、結果の標準化でなくて、結果の多様性をもたらしたらいい、というお話だったと思うんですよ。生命の多様性。その多様性をもたらすのはATGCっていうたった4つの要素。要素レベルでの単純さが結果レベルでの多様性を生み出せる。内田さんがトヨタさんに提言されたことっていうのは、工業が生命のような多様性をもつべきだということだったと思うんですね。

内田
日本ておもしろいなあと思うのは、これは書院建築っていうんですね。これは非常に工業的な建築だと思っているんです。初めて工業的な建築をつくったのは日本だと思うんですね。書院建築ができてくると、同時に数寄屋建築なんですね。数寄屋建築は自由になんでもいいんですけど、心に対して自由につくっていいんですね。やねがとんがってようと寝てようと。反対意見てものすごく重要なんですよ。それが失われているようで怖いねぇ。

竹村
とんだ連想だと思うんですけど、それは共感しながら、ここは違うって思うんですね。脳とコンピュータの違いなんですが、脳は適度に忘却するいい加減さがいいんですね。透いていくことで忘れていくんです。第三第四第五の魚という概念を作り出していくことができる。なにもなくて透いてないと、魚という大きなイメージをつくることはできない。

内田
忘れないとやってらんないってことは僕も年中してるしね(笑)記憶ってのもまた曖昧模糊としてるからいいんですね。昔の香りがよみがえってくると、ぱっと思い出すんですが。日本のキーワード3つあるんですが、変化、微細、今。

にこっ、て笑うだけでコミュニケーションて成立するんですよ。建築ってのは気配をつくる仕事なんですね、写真にうつらないし、またうつってもだめだし。どんなコミュニケーションがどんな気配をつくっていくのか。

空間てのは時間をつくるための枠組みでしかないんですね。我々の日常的な時間。脱日常的な時間。非日常の時間。日常的な空間つくるときに、脱日常的な時間をつくってたら、まずいな、って思うし。デザインてのは、いつでも時間をどうつくるか、って仕事をしてるんですよ。

竹村
江戸時代の隠居は35歳だった。伊能忠敬の偉業なんかは、隠居の後ですよ。今の隠居は非常に非生産的な側面でしかとらえられてないけども。超高齢化社会ってのは、隠居はクリエイティビティを発揮できるんじゃないかと。老いについてもいずれやらなければならないですが。

内田
僕から、日本が出てきちゃったのは、三宅一生さんなんかもそうだと思うんだけど、60年代はみんな日本を一回は捨てたんですよ。すててすててすててすてたら、出てきちゃったんですよ。一回捨ててみたら日本が出てくるかもしれないよ。

竹村
日本ていうものを、世界の公共財として解放していこう、ということをしているんだと思いますね。



内田繁デザイン研究所
http://www.uchida-design.jp/